受験

今日学校で旧帝一工志望を集めた集会があった。

結論から言うが体育教師の話を除いてあまり良かったとは思えなかった。

今回、全部で3人の教師が話をした。

1人目は、自分が高校時代に勉強せずにだらけていたが故に良いところへ行けなかったのを今でも後悔してる、と。

それを教訓に頑張って欲しい、そう聞こえたが、どうも自分の体験と重ねすぎるが故に勉強は孤独に頑張れだとか、同じ高校の生徒と頑張り合うなとか、高校の雰囲気を悪くしかねない発言も幾つかあった。

更に、センター終えた後に燃え尽きる人が多いと言った。それは単に9月からセンター対策やるあまり2次の重要性を見失わせてそれで燃え尽きてしまう人を出してるのではないのか?そう考えた。

それに話の途中、生徒のやる気がなどと生徒に問題があるとばかり語ったが生徒に過度な期待を持ちすぎるあまり授業が怠慢になってるのが多い事実を見逃してる(目を背けてる)のではないかと思った。

 

2人目は特に酷かった。

何故なら既に数回聞いたことを繰り返すしどの科目の授業も真剣に聞け。そうじゃないと狭い考えになってしまうとか。

まあ広い考えを持つために授業受けろってのは分からなくもない。あくまで受け身の授業や教師の自己満な授業で無ければな。

結局は良いこと言ってるようでただ1時間ずっと考えさせもせず教師が淡々と話す授業の言い訳にしか聞こえない。僕の高校そういうの多いし。

3人目は先ほど挙げた体育教師だ。

その方は丁寧にプリントを用意してそれを元に話を進めた。

よく、「体育教師は脳筋が多い」と揶揄されがちであるが(確かにそういう人がいるが)それでも僕はどちらかと言えば、普通の教師よりもスポーツを通じて深く考えられる教師が多い、そう思う。

その先生もスポーツで戦略を立てるかの如く受験=勝負を勝ち抜くための戦略として話していた。

さらに進学校での経験があったためか、「大変だと思ってもやり続けろ。ある時急にわかって楽しくなる時が来るから。」と。

僕の高校、長時間勉強しろと言う先生は多いのにこういう風に言う先生はほとんど居ないのでいい話が聞けた。

 

今回は学校で開かれた集会について感じたことを述べてみました。

 

それでは。

恩師

今日、学祭が早く終わったので僕の卒業した中学で行われた中体連に行ってみた。

「ああ、中学はあんな感じだったっけな…」と過去を思い出しながら後輩達の試合を見てた。

僕の居た時、いや、もっと前から全国に出場するような部活だったのもあってか後輩達も強かった。

そして試合を見終えその後中学時代の顧問、自分の中で恩師と思える方に挨拶をした。

話してみたらあの頃と変わらない。そして自分はある相談をした。そしたらとてもいい方向に進みそうな案を出してくれた。中体連終わりで忙しいのに申し訳ないと思う一方で恩師の凄さを再び感じた。

気持ちも晴れていい気分となった今やることはただ一つ。

 

受験に向けてひたすらに行きたい方向に走る

 

受験が終わり合否が分かり次第恩師の所へ行くと約束した。

自分のため、家族のため、恩師のため……。

自分は全力を尽くす。

勉強

今日は朝強烈な腹痛が襲ってきたのでそのまま学校をお休みしてのんびりと過ごしてました(そのせいで勉強して無さすぎる)

そんな感じで勉強せずのんびり過ごしたらとあることを思いつきました。

それは、苦手科目・分野と格闘する行為が新たな発見を生み出すのでは?ということです。

受験において苦手分野は潰さないとならないと聞くもののなかなかやる気が起きないですよね。でも、それと格闘することでいくらか苦手の度合いが改善された時、今後の勉強の仕方のレパートリーが増えると思うのです。

例えば理系科目が得意で暗記多めの文系科目が苦手なら少しでもいいから文系科目の改善をしてみる。そうすれば理系科目で暗記多めの分野を取りやすくするヒントが見えてくるかもしれません……。

 

そう考えると今まで疎かにしてた古典をやる意義が少しは見えたような…。

 

それでは勉強してきます。

 

授業

現代文と物理の授業がクソ。

折角教科書終えて過去問演習と聞いて期待した現代文、答案作成までは良かった。だが、答案作成後に答えが配られた。

去年も年度末にはこのような形で過去問演習したが今年は去年と違って答えのみなのである。しかも解説は口頭のみ。おまけに声が通らない先生で何言ってるか聞こえない始末…。

去年の先生は解説込みのプリントを配ってくれたのになあ。

正直呆れたし過去問演習は自分でやって解説などは去年の先生に頼るしか無さそうだ………。

 

物理は座席固定で一番前となってしまった。

まあそんなことも気にせずしばらくは良問の風や物理のエッセンスをやっていた。

だがここ最近物理教師が板書を書き終えると見回りをし、最前列である僕がノート取ってないのを見るやいなや「ノート取って」と言うのである。

僕は元々ノート取ることはあまり良く思ってない。だが板書が良かったらメモ書き程度のものは取るようにはしてる。

ところがこの物理教師の板書、教科書と書いてることが変わらない上に説明が教科書より難解で混乱を招くことしかしないのである。

そんなものなんてもちろん取らないと決めてたが先程言ったようにノート取れとうるさい。

そうして、内職出来ないし寝るか。そう決めた。

だが、またしてもあの厄介な奴に絡まれるのであった。

今度は肩をつついて起こしてくる。当然起きたくないのでそのまま無視する。だがあいつは更に机を揺らす。まだ無視をする。

それでも辞めないので起きたが、物理の時間は本当にイライラするし嫌なものである……。

去年の物理教師もなかなかのクソだったが今年もそれに負けないくらいクソだ…。

確か僕の高校には2人しか居ないはずなので物理はオワコンと言ってよいだろう………。

 

受験してるものの邪魔をしないでほしい、そう思った今日このごろ…。

学校

自称進学校(自称学校)レベルの僕の高校でも、部活を引退する人が増え、受験ムードになりつつある。

だが僕はTwitterにいる人たちと比べて凄い違和感を感じた。それは、自分の勉強する習慣を持たないのにもかかわらず、周りに流されて予備校に行こうとしてる人多いということだ。

もちろん予備校行って伸びると思う。だが、自分の勉強スタイルもない状況で予備校の授業聞いても学校の授業と同様、成績に結びつかないことが多いと思われる。

現に、僕の高校では1年の頃から予備校に通ってる人が多いのに(言葉は悪いが)ほぼ独学である自分よりも低い人が多いのである。

実際クラスの人とそういうことについた話したが、その人も同じことを考えていたようだ。

今では勉強法なんて調べようと思えばすぐにたくさんの方法が見つかるのにそれすらせずに予備校に頼る。そんな状況だから実績もよろしくないのでは?そう思った………。

 

今まで実績の悪さを学校の状況から批判したが、教師達の言うように生徒にも(自分も含めて)何か問題があるのかもしれない…。

確率

先日Twitter上で数学においてとんでもない能力をお持ちの方の存在を知った。

なんとその方は解の公式を知らない状態から1週間で中高の数学の教科書を読破し、数オリの問題をサクサクとこなしてるらしい…。

凄く興味を持ったので早速その人のツイートを見ることにした。

初めは才能ありまくるからそんなことやってのけたのだろう、そう思った。

だがその人のツイートは僕の考えを打ち砕いた。

何故なら基礎を如何に忠実にやるか。とおっしゃってたのである。

そして今日、数学Aの教科書を開いて苦手分野の確認をしてみたら、自分は暗記否定派と主張してきたのにもかかわらず、暗記で誤魔化していた部分が多かったのだ…。

あまり言ったことは無かったが教科書は自分の中で軽視していた部分があった。なので今回の体験は衝撃であった。

そして先程確率まで終えた。

僕がここ最近苦手としていた「条件付き確率」のところまでいき、説明が書いてる文面を追いそして解説付きの例題を解いてみた。f:id:animath225:20170612000010j:image

それがこの問題だ。

ここでは長々と解説が書かれていたり式がやたら面倒だったりする。

だが僕はそれまでの説明を見てこんな答案が浮かんだ。f:id:animath225:20170612000103j:image

(Uは全体集合を表していてA,Bは問題文に準じてます)

そうしてから解説を見ると式は違うが同じことを言ってるようだ。

そこでふとこう思った。

確率は今まで演習しまくって慣れでカバーしてて取れてたから模試でも取れてたけど理解に重点を置いたらスマートな解き方に出来るのでは?」と。

 

今日は勉強において大切なことは何か、それの誤解があったということが分かり、基礎の重要性を再認識出来たいい1日だった…。

 

 

ノートの必要性とは?

僕はTwitterでも言ってるように、ノートは基本取らない。取っても、参考書に無いと分かったり、個人的に残しておきたい時にメモ程度のものをするだけ。

 

今でこそこんな感じであるが中学時代、それこそ高1の夏辺りまではほぼ全科目ノートを取ってた。

中学の時は、公立中学の大抵の人は内申点の絡みでノート点なるものがあるのでしっかり取る。

僕もその1人で必死になって社会以外は取ってた。(社会については後程)だが、提出しても点数は普通程度。何がいけないかと周りの高得点者のものを見せてもらう。そこで自分とその人たちのノートの違いが分かった。

 

高得点者と自分のノートの違い、それは色の量である。(これは学校によって評価基準も違うと思うので一概には言えないと思います)

 

自分は元々、たくさんの色を使った本とか得意ではなかったので、多くて5色程度にしてた。

だが、高得点者は決まってもっと多くの色を使ってたのである。

見せてもらった時に言ってしまったのだが、このノート、自分には要点がまるで掴めない、と。

こんな経験もあってかノートは色少なめのものを必死こいて書くことしたのである。

そんなこんなでこれは高1の夏まで続くのだが、7月に受けた模試の結果を見てノートへの感情は大きく変わった。

 

入試の時上位(Top15~)で入ったにもかかわらず、模試の結果を見ると120/320位程に落ちていたのである。

 

この結果にショックを受けてすぐに原因を考えてみた。

そしたら、「ノート取っただけで満足してしまって演習してないよな…。」って思ったのである。

そんなことがあって以来ノートはほとんど取らなくなった。

 

 

 

 

 

そういえば先ほど社会はほとんどノートを取ったことがないと言った。

それは、資料集を読むことで大半の情報を得られるからである。

実際それで高校入試は満点近く取ったし、校内でも1位とか2位を維持してる。(まあ校内平均が全国平均-5点とかなので…)

中学と高1の時はそれでもあまり言われなかったが、高2から地理が始まって以来度々ノートが〜と言われたり、言ってたり。

先生は自分のノートは受験に通用する的発言をしているが、ハッキリ言うとそんなことない。

実際地理Bセンター平均58(全国平均60前半)とかなのだがこれでもそう言えるのか?

理系はセンターしか無いけど、文系の一部の人は2次もある。そいつらの進路をあんたのクソ授業で潰すのか?いい加減夢なんか見てないで現実みたらどうなんだ?

 

 

 

………と、今回はノートの件に触れてみました。(後半は高校の地理教師の批判になってましたがw)

もしノートが良いと思う方が見ていたら申し訳ないです。